うみべのごはん

日常に寄り添う器とおやつ(前編)

「多分、みんな・・・みんなというか私もそうやったけど。どこかへ旅行に行ったり、都会に遊びに行ったり、そういうことの方が『すごく楽しい』って思い込んでるけど、『日常』が本当は一番楽しい。そのことに気づいたら、もっとなんか、なんだろう・・・。もっと楽しいことがいっぱいあるんじゃないかなって思うんです」

黒潮町・佐賀に拠点を置き、2010年から「日常屋」を営んでいるのは、清藤弘晃さん(49)と志乃さん(48)ご夫妻。弘晃さんが陶器を作り、志乃さんが焼き菓子を製造し、2本柱で生業としている。

「日常屋」という人々の暮らしに寄り添ったお店の名前。「日常が一番楽しいはず」、そう2人が感じるのは、普段から「日々の暮らしこそが楽しい」という思いを持っていることはもちろん、家族の病気や震災など、「日常がありがたい」という実感もある。

「日常屋」
清藤弘晃さん(右)・志乃さん(左)ご夫妻

黒潮町・佐賀出身の志乃さんと宮城県出身の弘晃さんは、東京で出会う。

高校卒業後、徳島県の短期大学で保育の勉強をした志乃さんは、その後、「絵の勉強をしたい」と東京のデザイン専門学校へ進学。一方、弘晃さんは「とにかく東京に行きたい」という気持ちと、「絵本作家になりたい」という夢を抱いていたことから、志乃さんとは別の東京にある専門学校でイラストを学んだ。

2人は共通の好きなことであった「絵」を通じ、友人を介して出会うこととなる。

2人がそれぞれ、「お菓子」「陶器」と出会ったのも東京にいた頃だった。

「専門学校はアート科を専攻していて、卒業してからはカフェやギャラリーで絵を発表しながら洋菓子屋で販売員として働いていました。洋菓子屋には10年勤務しましたね」(志乃さん)

「絵を描きながら、遺跡発掘のアルバイトをしていたんです。そこで発掘された土器を見て、『自分で茶碗を作って、自分で炊いたご飯を入れて食べたら、もう、それで幸せだな』って思ったのがきっかけで」(弘晃さん)

それから結婚し、佐賀へ生活の拠点を移したのは30代半ばのこと。

「34歳くらいだったかな。父が病気になっちゃって。珍しい病気で、いっとき治療をして、5年くらいの間は歩いたりもできるようになったけど、また再発。どうしても手術をしなきゃいけないけど、父も母も落ち込んでいるし。それまでにも『帰ってこい』みたいなことは言われていたんですけど、きっかけはその手術でしたね」(志乃さん)

父の病気がきっかけとなり、志乃さんのふるさとへやって来た2人はその1年後、早々に「日常屋」を始めた。はじまりは今の形ではなく、2人が好きだった絵を施した「ポストカード」だったという。

毎月第2日曜日に土佐西南大規模公園の体育館脇で現在も開催されている「海辺の日曜市」。マーケットがまだ始まったばかりの頃に運営者から声をかけてもらい、自分たちで絵を描いたポストカードなどを販売したものの、「これでは生活ができない」。

佐賀に越して来る以前、弘晃さんは、遺跡発掘から興味を持った「陶芸」の道に身を乗り出し、茨城県の陶芸家の元などで修行を積んでいたことで、陶器の作り方はわかっていた。

志乃さんは、本格的にお菓子を製造したことはなかったけれど、東京の洋菓子屋で働いていたこと、何よりも、昔から「お菓子を食べるのが好きだった」。

「あの頃は、まだ今みたいにうちのような小さなお店、例えば週1日だけオープンするとか、手作りのお菓子を販売しているようなお店が少なくて。まだ「マルシェ」とかも盛んじゃなかった。それで、『自分の手作りでお菓子を作って、食べたいな』っていう思いがあったんです」(志乃さん)

それから陶芸、焼き菓子というそれぞれの好きを活かしたお店作りが始まった。

毎週土曜日営業の「日常屋」。
お店を入ると迎えてくれるのは、志乃さんの作った焼き菓子たち。
弘晃さんが製作した陶器たち。
毎週土曜日のオープン時や希望に応じて作品を見たり購入ができる。

日常屋(黒潮町佐賀535)
「人々の日常に寄り添えるようなものを」と、清藤さんご夫婦が営む陶器とお菓子のお店。工房は毎週土曜日午前8時30分から午後3時頃までオープン。工房での販売のほか、「海辺の日曜市」など町内外のマーケット等へ出店。そのほか、道の駅などでも購入可能。

text Lisa Okamoto

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