うみべのごはん

大阪での経験と小さな町に寄り添う変化とともに 無人駅のケーキ屋さん(前編)

うみべの町の小さな無人駅でケーキ屋を営むのは、山本猛志さん(59)。

「ケーキの職人やまもと」と看板を出し、この町でもう19年、生菓子や焼き菓子を作り続けている。地元の人はもちろん、町外、県外にもファンが根付いてきた。

「ケーキの職人やまもと」店主
山本猛志さん

奈良県出身の山本さん。高校までを地元・吉野で過ごし、高校卒業後は大阪へ出て料理の専門学校へ通う。高校卒業までの間、ギリギリまで進路は悩んでいた。

「高校の時、僕は彫刻家になりたかったんですよ。でも、彫刻じゃ十分な稼ぎは得られないかもしれん。そんな時に出席した結婚式で、砂糖で作られたウェディングケーキを見て『あれを作ってみたいな』と思うて。兄貴も調理師学校を出て、大阪で調理師をしてたんで、それもあって」

専門学校卒業後、大阪のケーキ屋へ就職。十数年働いた後も関西圏を中心に、洋菓子職人として数店舗を転々とし、20年以上を関西で過ごした。

山本さんの関西時代は、目まぐるしい日々だった。

目標は「一人前」。お菓子に関することをひたすら「勉強しまくり」、睡眠時間は2時間あれば良い方だった。

「大阪時代はもう、必死に。『とにかく一人前、一人前』と思いながら毎日を過ごしとったからねぇ。何年か勤めて経験を積んでからは、店を任されて、客数を伸ばさないといけなかったり、売り上げが掛かってくる。それはそれでプレッシャーに。他にも企業の商品開発をしたり、『店の売り上げを伸ばしてほしい』と雇われたり。でも、助けてくれる人がおるんですよ」

少しずつ経験を積み、腕が上がれば上がるほど重責が増えていった山本さんだったけれど、周りに支えられ乗り越えていったという。この時、仕事の楽しさを知った。

「『人の上に立とう』という感じじゃなくて、若い子たちが自然についてきてくれるんですよ。知らぬ間にその子たちに助けられていた。その感覚を覚えた時の仕事の楽しさ。『プレッシャー』が『楽しさ』になって、彼らがまた進歩していってくれて。仕事の楽しさいうのをそこで知りました」
経験を積み、専門学校の先生の資格を保有、保育園から大学までの講師を務めたり、コンテストでの優勝なども経験してきた山本さんは2005年、黒潮町へ移り住むことを決めた。

黒潮町は両親の出身地。まだ山本さんが小学生だった頃に何度か訪れたことがあるというものの、ほとんど知らない土地だった。そんな土地に、最初に戻ってきたのは山本さんのお兄さんだった。

「兄貴と一緒に店をしようと言っとったんです。それで先に兄貴が黒潮町で中華料理屋を始めて。その後、両親が退職をするタイミングで黒潮町へ戻ることを決めて、僕も。そろそろ店を持ちたいなというタイミングだったので」

しかし、お兄さんを病気で亡くすことに。黒潮町へ来るきっかけはお兄さんだったけれど、山本さんは「ケーキの職人やまもと」としてそれから今まで、洋菓子屋の店主として黒潮町で頑張ってきた。

黒潮町での営業を始めた当初は、その頃まだ珍しかったマルシェへ出店をしたり、出張販売も行っていたという。町外へシュークリームやプリンを持っていき、「やまもと」の名を広げていった。その後、現在営業をしている土佐入野駅に店舗を構えた。

「嫁さんが『あそこ空いてるみたいやで』って。あの頃はまだお遍路さんが駅で寝泊まりしていたり、やんちゃな高校生たちがたまっていたり、今とは雰囲気も違ったけど『面白そうやな』と思って」

慣れ親しんだ場所ではないけれど、「ここでやってみよう」と無人駅での洋菓子屋の歴史がスタートした。

「やまもとと言えば」のシュークリーム
茶色い包みを開けた時の幸せ

ケーキの職人やまもと
土佐入野駅に店を構え、洋菓子・焼き菓子などのお菓子を販売。地元の人だけではなく町外・県外からもお客さんが訪れる。看板商品はプリン、シュークリームに加え、近年はバスクチーズケーキ(予約制)も人気。

text Lisa Okamoto

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