うみべのごはん

ありのまま、自然のまま(前編)

うみべの町の夏の味覚が塩ならば、
冬の味覚は砂糖。

正確には、「天日塩」と「黒砂糖」。

2006年、
この町に移り住んできた
田波憲二さん(46)・頼子さん(47)夫妻。

田波憲二さん(右)・頼子さん(左)
2人のサトウキビ畑で

黒砂糖を作る2人は、
ここへ来る前にも
沖縄でサトウキビ農家の手伝いをしていた。

「実は結構あちこち行ってて。
沖縄に行く前は
宮城の山の方に住んでたんだけど、
「あったかいとこに行こう」って言って
2人で原付に乗って上から下におりてきて」

寒いところからあたたかいところへ。

移動してきた2人は、
沖縄県・粟国島へとたどり着いた。

「沖縄の中でも粟国島はハブがいないんですよ。
だからそこに」

ハブがいないという理由で
粟国島に住み始めた2人は
農業をやりたいと役場に電話をかけ相談する。

「その時の村長の娘さんのところが
ちょうど働き手を探してるって言って
紹介してくれて。
それからサトウキビ農家の手伝いをするように」

3年間沖縄に住み、
それから次の住処を探していたところ
黒潮町にたどり着く。

「海との距離が近い」

憲二さんがそう表すこの町の魅力。
住んでいる人やここが好きな人には
「うんうん。そうそう」と
うなずける部分だと思う。

「太平洋側をずっとまわって来たけど、
こんなところはなかった。
他のところは割と
海と街中との距離が離れてたり、
岸壁があったりする」

うみべのくらしを始めた田波夫妻。
最初の頃はラッキョウを掘ったり、
生姜を掘ったり、
「なんか掘ってばっかりやね」
笑って振り返る。

「最初はここで黒砂糖が作られてるって
全然知らなかったんだけど、
売られてるのを見て、
「あ、こっちでも売られてるんだね」
「これ、黒糖じゃないね」って」

沖縄の黒糖に慣れていた2人は
黒潮町で作られる黒砂糖「入野砂糖」の
すっきりとした味わいに驚き、
物足りなさを感じる。

だから、その頃は正直興味がなかった。

それから5年ほど経ち、
町の特産品を売り出すために作られた
特産品協議会という組織に
「サトウキビの収穫を手伝ってほしい」と
声をかけられ
入野砂糖ができるまでの一工程を手伝った。

「3年経った後に、
特産品協議会が無くなるってなって。
その後、後継者がいなくなるから
「畑やらんか?」って言われて
始めたんだよね」

「1年目はね、何もやってなかったね。
畑はほったらかしで、本当に何もしてなくて。
畑の地主さんが草を刈ってくれてたり。
申し訳ないなって。
でもわけわからずだったから、最初は」

今では各方面で取材を受ける
田波さんの入野砂糖だけれど、
最初の頃はそんな風だったとは、
想像もつかない。

自身のサトウキビ畑で
脚立に乗り収穫をする憲二さん・頼子さん
収穫をしたサトウキビを15kgずつの束にまとめる

「次の年からかな、はまったのは。
自分が育てたサトウキビが
黒砂糖になるのが楽しかった。
それから色々研究してやったね」

2014年から本格的に始動した
田波夫妻の黒砂糖作り。

田波夫妻の上樫森が作る入野砂糖や
入野砂糖を使用した商品

「上樫森」という屋号は、
放棄されている田んぼを
最初に開墾した場所の小字(こあざ)名。

「下樫森っていう字のところもあったんだけど、
“上”で良かったね」
笑う憲二さん。

上樫森の地からスタートした2人の農業も
12年目となった。

―後編に続く―

上樫森」(黒潮町入野2151)
サトウキビを栽培し、製糖した入野砂糖や入野砂糖を使用した商品を販売する田波憲二さん・頼子さん夫妻。サトウキビ作りを始めた場所の小字名からとって「上樫森」と命名。飲食店等へ入野砂糖を販売するほか、1月中旬頃から道の駅で「BOKA NUTS」や「ボカシロップ」などの商品を販売。イベント等へも出店。現在小学6年生の息子さんも製糖作業の修行中。

Text Lisa Okamoto

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