うみべのごはん

波乗りきっかけに移住して20年。気さくな2人が作るイチゴの話(前編)

「元々サーフィンが好きで、移住前は神戸から毎週末、高知県へ通っていました」

そう話すのは、黒潮町でイチゴとタバコを栽培する農家・大林博さん(56)・理恵さん(54)夫妻。現在21歳と15歳、2人のお子さんを持つ大林さんご夫妻は、2001年、黒潮町へ移り住んできた。

大林博さん(右)・理恵さん(左)ご夫妻

少し控えめな博さん(大阪府出身)とハキハキと話す理恵さん(高知県安芸市出身)は、元々お互いが波乗り好きという共通点で知り合った。博さんはサーフィン、理恵さんはボディーボードを楽しんでおり、移住前には、当時住んでいた神戸市から毎週末、高知や徳島などに通いともに波乗りを楽しんでいた。

毎週通うほど好きだった波乗りだけれど、頻繁に通うには、距離の遠さや金銭面にも負担が出てくる。そんなことから、高知への移住を考え始めた2人。ただ、地方に移り住むには仕事を探さないといけない。でも、田舎で再就職ができるような場所があるのか・・・。安芸市出身の理恵さんは、実家がナスを栽培する農家だったということもあり、「高知では農業するか自営か」、そんな風に考えていたという。

そんな時、たまたま乗っていた電車の中で「農業しませんか?」という高知県が出していた広告を発見した。「これだ」と思った理恵さんが博さんにすすめ、その広告をきっかけに高知県への移住を決意。農家になるためにまずは研修を受けていたところ、その時出会った指導員が黒潮町出身の人だった。

「大方(※)じゃだめか?」

黒潮町出身の指導員からそう声をかけてもらい、紹介されたのはタバコ農家だった。

それからタバコ農家の元でさらに研修を積み、5年ほど時が経った。その後、本格的に自分たちで独立をして農業をしようかという時期に差し掛かり、「何を主軸にしようか」などと考えていた時、たまたま家庭でイチゴの栽培を始めた。

「ホームセンターでイチゴの苗を買って家で育ててみたら、勝手に増えていって。それが楽しかったよね」(理)

これがきっかけとなり、2人はイチゴ農家として独立の道を歩んでいくことに。イチゴ農家としての師匠にもこの頃出会うことができ、「1から10まで、ノウハウを教えてもらったし、周囲のいろんな方とも繋げてくれた」と、師匠に対する感謝の気持ちを口にする。

大林さんが育てるイチゴのハウス内

イチゴ農家として約20年、また、途中からはタバコの栽培も始め2本柱で農業を続けてきた。最初の頃、イチゴは「さちのか」という品種を栽培していたけれど、現在は「おおきみ」という幡多地域のブランドイチゴを栽培している。

「あの頃は『よう生きてたな』と思う。最初はさちのかを栽培していて、さちのか一本だけでやっていた時は正直苦しかった。タバコも栽培するようになって二本柱になってどうにかなっていったな。おおきみの栽培を始めてからは少し安心感がある」

当時の苦しかった時を振り返る大林さんご夫妻。

「いちごを育てるためにタバコを育ててるって感じやな」(理)
「俺はタバコを育てるためにイチゴを育ててるな」(博)

そんな冗談を笑いながら言い合い、2つの作物に助けられてきたことを話してくれる。

イチゴ「おおきみ」の収穫をする理恵さん

苦しい時期もありながら、2人が縁のない土地で20年もの間続けてきた農業。「やりがいは?」という質問に、また楽しい答えが返ってくる。

「まぁ、嫌いじゃないよな。作業的な話で、青いもの、例えばピーマンとかキュウリとかは、収穫する時に大変やろう。緑の葉っぱの中に緑のものを探さないかんろ。それが俺は精神的に参りそうで(笑)」(博)

イチゴは赤いから、緑の葉っぱの中から見つけやすい。ちょっとわかる気がして思わず笑ってしまう。

園に入るとイチゴの赤色が可愛らしく主張している

大林博さん・理恵さんご夫妻
大阪府出身の博さん、高知県安芸市出身の理恵さんは、移住前に住んでいた兵庫県神戸市から2001年に黒潮町へ移住。移住前から波乗りで毎週末高知県へ通っていたことがきっかけ。黒潮町へ移住してからは農業を生業に。現在はイチゴ・タバコを栽培する農家。イチゴは「おおきみ」という幡多地域のブランドイチゴを栽培。

※合併する前の町の名前(呼称)。黒潮町は、旧大方町と旧佐賀町が合併している。

Text Lisa Okamoto

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