うみべのあそび

見える景色に今日もイメージとガラスを膨らます(後編)

「ガラスをやってる魅力は、あのね、あの炉の中で溶けているガラスってね、飴色になってて。デレェ〜って溶けていく、あれを見てるのがね、綺麗で気持ちいいの。それで、あれを見るためには、自分でガラスを溶かさない限りは見られない。溶けている状態のガラスを見ているのが一番綺麗で」

ガラス作りの道に行くと決めた時、ガラスでなければならない理由はなかったけれど、あれから30年以上の時を経て、ガラスの魅力を話す植木さんの顔には自然と笑みが浮かんでいる。

取材中、こちらに気を遣って
時折笑いかけながら作品作りを見せてくれた植木さん

植木さんのガラス作りは、北海道から始まった。

高知の西の端の温暖な気候の中で育った植木さん。

「やっぱり若い時から北に対する憧れはあったので。寒さというよりかは、『雪景色の中で暮らしてみてぇな』みたいなのはやっぱりちょっとあるじゃないですか」

北国への憧れがあったこと、また、当時北海道ではガラス作家が増えていたということから、北海道にスタート地点を決めた。

その後も拠点を移しながらガラス製作を学んでいく植木さんだったが、いつも行く先はアナログな方法で探していったという。

「(伝手はあった?)ないないない。今ならね、スマートフォンがあるから検索して学び先を探しに行けるけど、俺が修行してた頃ってスマートフォンとか無かったので。電話帳をめくるとか、そういう探し方しかなかった。それで、とりあえずそうやってどこかに行ってみて、現地で聞き込みをしてみると、やっぱりその近辺の情報を持っている人たちがいる。そうやって訪ねて行って、教えてもらってっていう方法で探していました」

そんな方法で北海道で修行をした後、今度は九州へ移動し、ガラスの勉強を積み重ね、現在の奥さんと結婚を考えていた頃、「北海道出身の奥さんを文化の全く違う高知県へいきなり連れてくるのは」と、神奈川県・横浜市を経由することとなった。

九州から横浜へ移ることを決めた際、植木さんの中にはすでに一つの思いがあった。

「横浜での勤め先を辞める時は、自分で工房を持つ時」

横浜は、独立へ向けての最後の地だった。

その後、横浜在住中に結婚をし、奥さんも、植木さんの独立時のことを考え、「少しでも足しになれば」とガラス製作の教室へ通い、トンボ玉の製作を学んだという。

いよいよ40歳の時、地元・高知へ戻ってくることを決め、自身の工房を構える場所として選んだのは黒潮町入野だった。

工房で製作をする植木さん

植木さんの地元は黒潮町よりもさらに車で1時間ほど西の土佐清水市だが、体験教室も構想として練っていた植木さんは、お客さんのアクセスの時間も考え、商売をするには難しいだろうと考える。他にも県内各地の自治体を回り、役所の窓口で「ガラス工房をしたいのでどこか借りられるところはないか」と相談をしていたところ、一番丁寧に相手をしてくれたのが当時黒潮町役場に勤務していた職員だったという。

「その時相談をした大方(合併前の黒潮町)の役場の職員さんは、俺の話を面白がって聞いてくれて。その後もいろんな施設を紹介してくれたり、実際に今の工房を借りる時には大変な手続きの書類なんかも一緒に作ってくれて」

まだ当時、「移住者」という言葉が今ほど浸透していなかった頃でも、町の人があたたかく対応してくれたことがきっかけとなり、海を前にした絶好のロケーションで「海辺のガラス工房kiroroan」を始めることとなった。

植木さんの作品の着想は、やっぱり目の前の「海」。「こだわりや作品の特徴は無い」、それよりも、「まずはお客さんが手に取ってくれるものを」と話す植木さんだけれど、作品作りのイメージはやっぱりこのロケーションならではのものがある。

「目の前の景色やそこら辺にあるものから(イメージを)もらいます。海を見て、感じること。木々がある景色だったり。前・松本町長が大方あかつき館の館長をされていた頃から『企画の中には物語が無いと、人は集まってこない、寄ってこない』っていうのをよく言ってらっしゃるじゃないですか。俺もそう思っていて。お客さんがものを見た時に、そこから何かを想像してもらえるもの、共感してもらえるものをと思っています」

一番最初に作った作品も、工房から見える入野の浜の砂と海水が混ざり合っている景色からイメージを膨らませた。

植木さんの作品
植木さんの作品
目の前に広がる海や畑など、工房から見える景色に着想をもらう

それでも、ガラス工房での日々は海の輝きのようにキラキラと楽しいだけではない。1200度ほどにも上がる温度を24時間、ほぼ一年中キープしておく必要がある炉の管理やコストには大変なしんどさがある。だからこそ、お客さんに「手に取ってもらえるものを」と、一年間12カ月のうち、炉のメンテナンスの期間を除いた11カ月を製作時間に費やしている。

「お客さんに手に取ってもらった時に、そんなに安くない金額がついてるわけで、そのお金を出してもらえるレベルなのかなっていうのが作る基準ですよね。まずめざすところはそこ」

ガラス工房の経営の大変さをわかっているからこそ、お客さんに手に取ってもらえるものを、そして、そうしてわざわざ手にしてくれたお客さんを満足させられるものをという植木さんの真剣な思いが込められている。

1,200度を超える炉を構える工房
炉で溶かしたガラスを整えていく
溶かしては整え、グラスの形になっていく
その作業はあっという間のスピード

でも、真剣さに加えた魅力が植木さんにはあるように感じる。

「kiroroan」という名前は、アイヌ語で「楽しい」という意味。この単語を用いたのには、最初の修行の土地が北海道であったことが間違いなく関係しているという。

「工房に名前をつけようってなった時に、やっぱり自分がガラスを始めたのは北海道だったから。それに、北海道にいた頃に、あんまりお金はなかったんですけど、『せっかくここにいるなら』と思って日帰りバスツアーに参加したことがあったんです。その時にバスガイドさんがね、アイヌの話をしてくれて。元々全く意識がなかったわけじゃないんだけど、北海道に住んだことで初めてその時にしっかりアイヌを意識したんですよね」

四国に住んでいると、どうしても「東京と地方」「大阪と地方」と、都会と田舎を切り離して、別のものとして考えてしまうことも多い。いつからか自然に自分のアイデンティティの中にそう組み込まれてしまっている。でも、そうじゃない、「それぞれの暮らしがあるのだ」ということを、北海道にいた頃に、アイヌを意識して初めて、たくさん考えたという。

北海道から始まり30年、黒潮町らしい「海」の前で今は自分の生業としてガラスに向き合う植木さん。

「ガラスでもそうじゃなくても何でも良かった」
「自分のことを作家だとは思っていない」
「売らなきゃいけないから、作っている」

そんな風にこちらの想像していた答えとは違う正直な思いたちを話してくれる一方で、

「海だけじゃない、綺麗なお空もあって、緑もあって、そういうところからもらえるものはとても大きいので。黒潮町でやらせてもらっていて、良いですよ」

そう照れくさそうに言う植木さんの言葉は、どちらの思いも真剣で、どちらの思いも本当のもの。その間に見え隠れする、土佐清水の浜で遊んでいた頃が想像される無邪気な笑顔が、なんだか心にじっくりと沈んでいく。

無邪気さがうかがえるとても良い笑顔

海辺のガラス工房kiroroan
黒潮町入野で吹きガラスのガラス作品を制作する工房。土佐清水市出身の植木栄造さんが営み、年間ほとんどの時間、制作に向き合う。「kiroroan」はアイヌ語で「楽しい」の意。工房の目の前に広がる海や木々の景色から着想を得て、日々制作を進める。グラス作りの体験も受付している。

text Lisa Okamoto

-うみべのあそび