うみべのあそび

責任を持って地域とまじわる(後編)

−前編はこちらから−

集落活動センターであいの里蜷川

「何をするにも「人に関わる」っていうことは
責任が発生するじゃないですか。
物事を始めると、
最終的にどうにもできなくなるまでやらないと、
その責任は果たせないんだろうな
っていうふうに思うので
最後までやろうと」

平成11年に廃校となった旧蜷川小学校は、
地域の有志が集まり、
宿泊や体験事業などを通じて
その後も地域の拠点となることをめざし
活動が継続されてきた。

その後、
平成28年には集落活動センターとして設立され、
今日まで、小学生から社会人などの
スポーツ合宿の受け入れ、
そば打ちや田舎寿司作りの体験により
町内外の人々との交流を進めてきた。

一見、蜷川という地域が活発に動き、
地域の存続に向けて
しっかりとした活動が
定着しているように見える。

もちろん、蜷川の先人たちが
いつも一生懸命、
真心を込めて紡いできた活動があってこそ
継続ができている活動である。

ただ、この少子高齢化社会の中で
今まで通りでは
地域の存続が難しい部分、課題がある。

であいの里蜷川で長年行っている「田舎寿司作り体験」。
蜷川のおくさんたちが丁寧に教えてくれる。
地域の食材なども使いながら作る田舎寿司は最高の味。
地元の方たちと一緒に作ることで蜷川に魅了されていく。

「3年前くらいから、まだその頃は一住民として
蜷川の活動に関わってきました。
これは他の地域もそうだと思いますけど、

中山間地域って、主要な産業がないんですよ。
それに少子高齢化。
蜷川は特に超高齢化社会なんで。

蜷川に戻ってきて、
農業に携わって、地域の活動を見て、
このままだとここは無くなる。
未来が見えたんです。
今できることがあるのに、
今ちょうど動ける状態にあるんやったら
自分がやらなきゃいけないだろうっていう、
勝手な使命感じゃないですけど」

地域の中の数名が続けてきてくれた
宿泊や体験事業も、
今では3名ほどのおくさんたちが切り盛りをし
蜷川での活動を存続させてくれている。

でも、年々携わる人も少なくなれば、
お金を稼げる仕組みも確立されていない。

この状態がそのまま続けば、
蜷川という地域は
無くなってしまうかもしれない。

本業である農業は家族の協力もあり、
割と時間に融通が利く特性もあり、
橋田さんはその傍ら、
集落活動センターであいの里蜷川の
法人化に動き出した。

もちろん、簡単なことではない。

経営の戦略や予算の立て方などは
以前の仕事の経験でできる部分もあったけれど、
地域の理解や協力、事業計画や展望の作成、
定款の作成、法人登記、経費の計算や
ホームページの開設、SNSの運用・・・

1から10までを自分でネットで調べ、
手探りの中、1年かけて法人化を実現した。

「言い出しっぺなんで、やるしかないですよね。
口だけやとか、
いいことは言うけど行動が伴ってない、
とか言われたくないんで。
今はあれから1年が経ちました。
全部屋のWi-fi環境設定、簡易の倉庫を建てたり、
ウォシュレットが付いていなかったトイレに
ウォシュレットをつけたり、
お弁当のラベルシールも作ったりとか
事務作業や六次産業商品の企画、製造、
営業販売なんかも僕がやってます」

事務的な仕事から
経理、企画、商品開発、営業と、
オールジャンルに対応している橋田さん。

給料の規定も見直し、
時給は4桁台までアップさせた。

それも全て
蜷川という地域が未来に続いていくため。

「ここを存続させるためには、
蜷川を存続させるためには、
まずは移住者とか地域の外から
人が来られるような段取りをせないかん。
そのためには、そこに産業というか、
お給料が稼げる、
蜷川から出ていかなくてもここで稼げる、
完結できるという状態にせんといかん」

蜷川に人が残り、増え、
地域として存続していくために
橋田さんは
「蜷川で暮らし、仕事ができる」環境を
整えようとしている。

法人化から1年が経った今、
これまでの事業に加え、校庭の芝生化や
さらには将来
ワーケーション対応施設としての計画を
進めている。

「蜷川は国道からちょっと
奥まったところにあるので
あんまり人が入って来ない。

芝生にすることで、
ちょっとした公園のような感じになって
レジャーシートを引いて
イチョウが見られるようにとか、
何かイベントができたりとか。

そんなところになれば、
町内外から誰かが来て
蜷川って、こういうところがあるんだ
って興味を持ってもらって
地域を維持していくための
きっかけになればいいなと。
自分たちと同じ世代の人たちが
周りに増えたらいいですよね」

校庭のグラウンドには芝生にするための準備がすでに行われていた

「そこまでできるのは
蜷川に対しての思いが・・・?」
と質問をしようとすると、返ってくる答えは
「思いも何もないです」
と橋田さん。

終始口調はハキハキとしていて、
「思いも何もないです」
のような答えも返ってくる。
一見、言葉や文字だけを切り取れば、
少しとっつきにくさを感じるかもしれない。

でも、自分が言い出したこと、思うことに対して
注ぐ熱量は
そこかしこの人には負けていない。

高知大学の地域協働学部の学生たちが
授業で蜷川を訪れていたこの日。

「大学生たちにも
たくさん話聞いちゃってください」
と橋田さん。

校舎内にはこれまで蜷川で活動した大学生たちの写真が残されている。
この日いた大学生からは、
「毎回帰る時に見えなくなるまで手を振ってくれるのが嬉しい」
「私たちが企画した蜷川オリンピック、地域の人たちが楽しんでくれて嬉しかった」
というお話が。

「過去に蜷川で撮影した写真、
記事に使ってもいいですか?」
という問いに対し
「全然使ってください。
おばちゃんたちが写ってたり、
地域の人たちが写ってるのを
ぜひ使ってください」
という橋田さん。

長年、であいの里蜷川の活動を支えてきたおばちゃんたち
取材に伺ったこの日は、大学生たちのために
美味しそうなランチプレートを準備。
もちろん「蜷川コロッケ」も。

校庭の芝生化のお話の最中、
「イチョウを見ながら
ピクニックでもしてもらったり」
と話す橋田さん。

6月。校庭のイチョウの木は青々としている。
秋になれば立派なイチョウの木は黄色く紅葉する。
ゲートボールの休憩中、地域のおんちゃん、おばちゃんたちが
その木を眺めながらおしゃべりする。

強い言葉や思いとともに、
地域の人や蜷川という土地の持つ元気さを、
元気になっていくことを
心に抱いていることがわかる。

「着手してしまったから。
やらざるをえんき、やりよったんです。
使命感と責任感だけですよ。
ただそれが強い。
強いのか、
人と若干感覚が違うのかわかわからないけど」

最後まで、綺麗事は言わなかった。
でも、笑顔を残してくれた。

一般社団法人であいの里蜷川 代表理事 橋田和人さん
平成11年に廃校となった旧蜷川小学校を利用し、宿泊や体験事業を地域の方が有志で行ってきた「であいの里蜷川」。その後、平成28年には集落活動センターとしての活動を開始し、令和4年に橋田さんが一般社団法人化し、代表理事を務める。普段はミョウガ農家を本業とし、両親とともに「まさかず農園」を営んでいる。その他、地域の耕作放棄を活用しサツマイモ等を栽培する農事組合蜷川の活動にも参画。

Text Lisa Okamoto

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