うみべのあそび

川のほとりの未完成の家で、夢を追い続ける暮らし(前編)

「まだ未完成。できたらまだまだ色々したいことがある。今度はこの家の裏にtree houseを作る。東屋も作る」

「パパ〜、ブランコまだ作らんが?」

「tree house作ったら、ブランコも作るよ」


黒潮町奥湊川でセルフビルドの家に住む横内さんご家族。夫・デイヴさん(44)、妻・悠(はるか)さん(39)、息子・海都(かいと)くん(7)、娘・映葉(えいば)ちゃん(5)の4人、 約4年の歳月をかけて自ら建設した家に2年半ほど前から移り住み、家族で暮らす。ただ、 完成形のように見える家は、「未完成」。これからやりたいことがまだまだあるという。

横内さんご家族
セルフビルドをした横内さんのご自宅外観

この家へ移り住むもっともっと前の話。

夫・デイヴさんはアメリカ・メリーランド州出身で、黒潮町へ来る以前は愛媛県でALTの仕事をしていた。妻・悠(はるか)さんは愛媛県の出身で、国際協力機構JICAの愛媛デスクで仕事をしており、その時にデイヴさんと出会う。

「高知の大学を卒業してすぐ、⻘年海外協力隊に参加したんです。中南米のベリーズという国に体育の分野で派遣されて、帰国後、JICAの愛媛デスクで国際協力推進員という仕事をしていました」(悠)

悠さんは、学校や役所などと仕事をともにする中でデイヴさんと出会い、デイヴさんが「サ ーフィンが好き」という理由で2人は黒潮町にやってくることになる。

「デイヴはよく黒潮町にサーフィンをしに来ていて。私はその頃、教員採用試験を受けようとしていたタイミングで、『愛媛は波がないから、高知で受けてくれない?』って、彼が。私も大学で高知県に4年間いて、高知が大好きだったから、『いいよ』って二つ返事で」(悠)

その後、黒潮町の隣町・四万十市の学校での採用が決まり、1年間は四万十市内で暮らしていたが、黒潮町にいた知り合いから「海が見える高台の家が空いたよ」と声をかけてもらい、 いよいよ黒潮町での暮らしがスタートした。

キッチンで取材に応えてくれる悠さん

デイヴさんはサーフィンで過去にも訪れていたうみべの町だったけれど、悠さんにとってはほとんど縁のない町。大学時代を高知県で過ごし、毎年夏には大月町の柏島を訪れていたものの、黒潮町はその通過点に過ぎなかった。

「黒潮町っていう町は、『T シャツアート展』や『クジラの町』という印象があって知っていたけれど、目的地にはなっていなかった。でも、デイヴがサーフィンをしに来ていたので、 それからは『あぁ、いいところだね』って思っていました。ここに来てからは、『すごく穏やかな場所だなぁ』って。ビーチに行ったらボーッとできるし、日常から簡単に別の世界に行ける。ゆったり過ごせる場所がいっぱいあるなぁ」(悠)

⻘年海外協力隊として海外で活動したりと、「割とどこでもやっていけるタイプ」という悠さんは、黒潮町の暮らしにもすぐに馴染んでいった。

それから、デイヴさんは新規就農の研修を受け、ブロッコリーやカリフラワー、オクラなどを栽培する農家に、悠さんは中学校の英語の先生(現在は外国語の専科として2つの小学校で英語を教えている)として四万十市で働きながら黒潮町での生活を続けている。

そんな横内家が「家を建てよう」と決めたのには、デイヴさんの幼少期からの育った環境が影響している。

玄関も外国の雰囲気が漂うおしゃれな空間


−後編に続く−

横内デイヴさん・悠さん・海都くん・映葉ちゃんご家族
黒潮町奥湊川でセルフビルドの家に暮らすご家族。夫・デイヴさんはアメリカ、妻・悠さんは愛媛県出身。設計から建築まで一からを自身で行い、アメリカでは一般的な「ツーバイフォー工法」を取り入れ、断熱材をたっぷり使用し、冬でも暖房いらずの快適な家を建築。ツリーハウスや東屋の建設計画など、自宅を含め敷地内の改造計画が現在も進行中。

Text Lisa Okamoto

-うみべのあそび