うみべのあそび

サーフィンのある人生(前編)

「サーフィンとは、ブルースさんにとってどんな存在?」
「It's just life」(人生だね)

海沿いにあるサーフィンスクール「幡多サーフ道場」を営むディロン・ブルースさん。

ブルースさん

サーフィンを始めたのは16歳の頃。
13歳の時に、ボランティアとしてライフセーバーをしていたブルースさんは、海の安全対策などの勉強をして、良い経験になったという。
それをきっかけに海へ行く機会が増え、救急用ボードを使用する機会も増えた。
自分のサーフボードを購入し、サーフィンをするようになり、ライフセーバーを辞めた。
ゴールドコーストには波が良い場所が多く、住んでいた場所からは離れていたけれど、週末には海へ行き、サーフィンをするようになった。

大学生になってからはサーフィンのコーチングを始め、19で海に近いゴールドコーストへ引っ越した。
こうしてブルースさんのサーフィンライフが始まった。

30年前、日本に来て「平野ビーチカップ」という、四万十市の平野で行われたサーフィン大会に訪れる。
「平野ビーチカップで友達に会って。それからずっと四万十市の下田に住んでいたね」
高知に来て、そのまま拠点を幡多地域へと移し、8年後、現在の幡多サーフ道場がある場所へ移住した。
それからワーキングホリデーの制度を使用し、日本に訪れていたブルースさんは、一度帰国。
「黒潮町に帰ってきたかったから、ずっと仕事を探して。英語の先生になってこっちに帰ってきた」
再び日本に戻り、黒潮町での生活がスタートした。

幡多サーフ道場から見える景色

「昔、浜には誰もいない。平野、黒潮。There was very few.(サーフィンをする人がとても少なかった) It was a 天国 year.(天国のような期間だったね) 」
ブルースさんがまだ高知に来たばかりの頃は、今よりもサーファーが少なく、海にはほとんど人がいなかった。
サーフィンをするブルースさんにとっては、人とぶつかるなどの心配がなく自由に波に乗れる高知が、天国のような場所だった。
しかし、昔は昔で人がいないため、サーフィンスクールを始めてみても人が来なかった。
今は人が増えたことでスクールを続けられているという。

幡多サーフ道場
黒潮町浮鞭にあるサーフィンスクールを営むディロン・ブルースさん。
サーフィンスクール以外にもハタペーニョを栽培し道の駅などにて販売

text Aoi Hashimoto

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