うみべのあそび

責任を持って地域とまじわる(前編)

「自分は農業を死ぬまでやるつもりで、
実家に帰ってきました。

農業をしていくうちに、
自分の周りでも耕作放棄地などの問題が
年々差し迫ってきている状況があることに
気づきました。
蜷川の人口は減っていく一方で
地区の人たちも高齢者が多く、
課題認識はあるがどうしたら良いか・・・。

こういう状況下なんだったら、
誰かが何かをやらないとどうにもならない。

蜷川を存続させるためには、
まず産業を起こして
雇用確保と人を呼ぶ仕組みがないと」

そう話すのは、
蜷川地区出身の橋田和人さん(42)。

2022年4月、
「集落活動センターであいの里蜷川」の
一部事業を法人化し、
「一般社団法人であいの里蜷川」を設立。

代表理事を務めて1年が経つ。

(一社)であいの里蜷川 代表理事を務める橋田和人さん(42)。
普段はミョウガ農家を本業としている。

蜷川地区で生まれ育った橋田さんは、
高校卒業を機に一度地元を離れた。

大阪の水道工事会社で勤務するが、
約1年半で退職。

「1番年齢が近い先輩でも20歳ほど離れていて、
ベテランの人たちに揉まれ、体力的にもつらく、
若気の至りもあってすぐに辞めたんです。
ただ、大阪自体はまだ楽しんでないなぁ
っていうのがあったので、
自分で新しい家を見つけて一人暮らしを始めて」

社会人になり最初に勤めた会社を退職後も
大阪に残り、
マンションの賃貸契約の
営業をする会社で働きながら
大阪の生活を楽しんだ。

その後21歳の頃、一度地元へ戻り
消費者金融の企業で7年ほど勤務。

その企業が業態を変えるというタイミングで
岡山県の自動車工場で働き、
さらにその後、高知市内の企業で
光インターネットサービス一時代理店の
営業担当として8年間勤務した。

20代〜30代の頃、
様々な業種を転々とした橋田さん。

「ここに戻ってくる前、
最後に勤めた会社が僕にとって
1番影響が大きかったかもしれないですね。
そこの社長や取締役の方々の考え方が
今の僕の考え方の
基盤になっていると思います」

健全な利益の出し方や
「経営をする」という考え方、
人との接し方など
「お客さん」に対する考え方の基盤を
光インターネットサービスの企業に勤務しながら
学んだという。

話の節々に感じる潔さや責任感、
効率的な考えはその頃に蓄積されたのだろうか。

であいの里蜷川へ授業の一環で定期的に訪れる高知大生と
お話をする橋田さん(写真中央)

地元を離れた時から
帰ってくるタイミングを図っていた
という橋田さん。

実家は農業を生業としており、
「年齢が40を超えると
農業の世界は厳しくなるだろう」、
そんな思いもあり、34歳でUターンした。

帰郷後は、
父・正和さんの元に「親元就農」という
その当時町でできたばかりの
新規就農制度を活用し
研修をしながら農家の道へ歩を進める。

父・正和さんは
元々は米農家をしていたそうだが、
25年ほど前から「ミョウガ」の栽培を始め
現在は正和さんと母・美和さん、
橋田さんの3人で
約3反のハウスで
ミョウガの周年栽培をしている。

「ミョウガは他の作物に比べて
作業量が圧倒的に少ないので
時間の管理がとてもしやすい。

うちの場合は管理も自動化しているので、
普段は朝にチェックするところを
チェックしてしまえば
トラブルや作業が立て込んでいない限り
他のことができるんです。

収穫して、出荷の調整をして、農協へ納品して」

ミョウガ栽培の魅力は?という投げかけに対して

「魅力というか、
父がミョウガをやっていたから
ミョウガをやってる。
何だっていいんですよ。
ミョウガ栽培の作業量の少なさだったり、
効率の良さだったりを判断して
やっているだけです」

橋田さんらしい潔い答えが返ってくる。

橋田さんのハウスで収穫されたミョウガ。
綺麗な朱色がキラキラと輝く。

ミョウガという作物が
あまり手がかからないということが
たまたま作用してなのか、
橋田さんは3年ほど前、
「集落活動センターであいの里蜷川」の活動に
一住民として関わるようになった。

「その当時おった集落支援員さんと
何かのきっかけで知り合って。
集活で食品の加工品を作ってみようか
という話があって、
どうせやったら蜷川で作られているミョウガで
作ってみようということで
その支援員さんと1年くらいかけて
商品を作ったんですよ」

現在販売されている「みょうがの雫」という
ミョウガの茎を漬物にした商品の
前身となる商品がこの時に開発された。

そこからが橋田さんの性格が現れるところ。

印象的だったのは、
「人と関わるというのは責任を伴うこと」
という言葉。

橋田さんのであいの里への関わり方、
地域との関わり方に
とても色濃く現れている言葉のような気がした。

国道56号線から蜷川方面へ曲がり、
集落活動センターであいの里蜷川へ行くまでの道中には
地域の人が植えたアジサイが6月、美しく咲き誇る。

−後編に続く−

一般社団法人であいの里蜷川 代表理事 橋田和人さん

平成11年に廃校となった旧蜷川小学校を利用し、宿泊や体験事業を地域の方が有志で行ってきた「であいの里蜷川」。その後、平成28年には集落活動センターとしての活動を開始し、令和4年に橋田さんが一般社団法人化し、代表理事を務める。普段はミョウガ農家を本業とし、両親とともに「まさかず農園」を営んでいる。その他、地域の耕作放棄を活用しサツマイモ等を栽培する農事組合蜷川の活動にも参画。

Text Lisa Okamoto

-うみべのあそび