うみべのあそび

「日常の延長に」月に一度のうみべのマーケット(前編)

今年で15周年を迎えるマーケットがある。

「海辺の日曜市」。

コロナ禍の後、人々が日常の生活を取り戻していく中で、高知県内でもあちらこちらで増えてきた「マーケット」。飲食や手作りの雑貨を販売する出店者たちがテントを並べ、来場者たちとさまざまな会話をしながら楽しむイベントである。人とのコミュニケーションが遮断されていた期間の反動か、この数年は以前にも増してそんなイベントが増えてきた印象がある。

「海辺の日曜市」(以下、「日曜市」)はそんなマーケットブームにおいて、黒潮町では先駆けのような存在だった。

日曜市の会場で買い物や会話を楽しむ来場者
会場では古本の交換ができるコーナーも

日曜市のきっかけは2008年、現在日曜市を運営している「まちづくりマーケットプロジェクト」の代表・畦地和也さん(66)が各地のマーケットを巡ったことに始まる。

「その頃始まったばかりだった『高知オーガニックマーケット』に行ったがよね。そこでは、『高くてもいいから質の良いものを買いたい』っていう考えがあって、これまでの『できるだけ安く買いたい』という考えとは世の中が随分変わったなぁと思って。それと、『東京朝市・アースデイマーケット』というのにも行ったがやけど、『農業に対する若い人の考え方や捉え方が変わったな』と、そこでも感じた」

百姓の長男として生まれ育った畦地さんは、小さな頃から親の田んぼ仕事の手伝いをしていて、嫌で嫌でたまらなかったという。畦地さんにとって、「農業」というものはどちらかといえばマイナスのイメージだった。

でも、オーガニックマーケットや東京の朝市では、若い人が生き生きとしていて、むしろ、農業に憧れを抱いている。

「農業に憧れる?そんな馬鹿な・・・。憧れているのと、現実とは、全然違うぞ」

そう思うと同時に、でも、なんだかそれが悪いことではないようにも感じた。「もしかしたらこれでまちづくりができるんじゃないか」と。

過去を振り返りながら話をする畦地和也さん

当時、町役場の職員として勤務していた畦地さん。2009年に予定されていた「幡多半島会議」で、「シンポジウムと同時に開催するイベントなどのアイデアは何かないか」と問われ、前年に見たマーケットの存在を思い出す。「じゃあ、マーケットをやろう」。

2009年2月の幡多半島会議でのマーケット開催に向け、準備を始めた畦地さん。この時はまだ畦地さん一人だった。誰か一緒に協力してくれる人を探そうと、役場内の掲示板で職員へ呼びかけ、その時に手を挙げた数名のうちの一人が現在も事務局スタッフとして携わっている福岡和加さん(47)だった。

「幡多半島会議を2月に開催するときに、『こんなことをするので手伝ってくれる人がいたらお願いします』って役場で投げかけたら、手を上げてくれたのが女性3人。『やってみたい』って。私は密かに3人のことを『チャーリーズエンジェル』って呼んでいました」(畦地さん)

「ははは。そうそう、私、思い出したんですけど、なんで畦地さんが『ボス』って呼ばれてるのかなって思ったら、そういえば私たち3人がチャーリーズエンジェルだったんですよね」(福岡さん)

15年前の記憶がふと舞い降りてきて、笑い合う2人。

15年前の「チャーリーズエンジェル」の一人、福岡和加さん。
現在は出店者の募集、広報などの事務をほとんど担う事務局長。

幡多半島会議のマーケットは、テントやイス、机など全てを主催者が準備するという開催方法だったこともあり、40近い出店者が集まり、終了後、今後も同様のマーケットの需要があるかどうかを出店者に尋ねると「ぜひ」という声があがった。それに応える形で、また、担当者からの声掛けもあり、今度はTシャツアート展で「マハロマーケット」と題し、2回目のトライアル開催を実現。2回の開催を経て、幡多地域での需要があることを確信し、同年11月から「海辺の日曜市」としてスタートを切ることを決めたという。

「9月に立ち上げの準備会をしたんよね。それでその後すぐ、私はニューオーリンズに行ったがよね」(畦地さん)

「えぇ、そうでしたっけ!」(福岡さん)

畦地さんがアメリカ・ニューオーリンズ州へと向かった理由は、マーケットの視察だった。

ニューオーリンズには、1995年から開催されている「クレセントシティファーマーズマーケット(Crescent City Farmers Market)」というマーケットがあり、畦地さんはそのマーケットを創設しアメリカのスローフード業界を牽引してきたリチャード・マッカーシーに会いに出かけたのだった。

2005年、ニューオーリンズは巨大なハリケーン「カトリーナ」に襲われ、大きな被害を受けたが、その復興に一役買ったのがこのマーケットであったという。

「被害の後、町が廃墟のようになったらしいがやけど、じゃあどこから一番先に人が戻ってきたかというと、マーケットだった。供給網は全部寸断されていたので、食べるものもスーパーで買えんわけよね。マーケットには、小さなコミュニティの人たちが少しずつ食べ物を持ち寄ってきて、そこで人々が食料を買う。そういうふうに人が戻り始めたって。それは今で言う『防災』『復興』だよね」(畦地さん)

小さなマーケットでも、そうして人々がやり取りする場があることが、いざという時にも役に立つ。「海辺の日曜市」のコンセプトは、畦地さんがニューオーリンズで見た、聞いた、リチャードのマーケットが影響している。

「小さな経済を創出する」、これが日曜市のキーワードになった。「経済」とは、何もお金のことだけではない。

「経済っていうのは、必ずしもお金だけじゃなくて、物々交換も経済やしね。お金を稼ぐこと、お金を流通させることだけが経済じゃなくて、お金も含めて、さまざまなものの交流が人々の幸せを招くということが経済でね」(畦地さん)

売り手と買い手が対面でやり取りをしながら、地域のものを購入する。そんな場を作り、賑やかな地域になるようにというのが日曜市のコンセプトになっている。

来場者は出店者と直接話をしながら買い物ができる。
マーケットならではの良さ。

幡多・マーケット「海辺の日曜市」
毎月第2日曜日に土佐西南大規模公園で開催されるマーケット。まちづくりマーケットプロジェクト主催。飲食や雑貨など、出店者の手作りの品々が販売され、出店者と来場者がコミュニケーションを楽しみながら穏やかな一日を過ごすことができる。2009年11月に始まり、2024年の今年、15周年を無事迎えた。

text Lisa Okamoto

-うみべのあそび