うみべのいやし

地域と旅人が出会う場所(前編)

田園風景が美しい地域に
昨年オープンした「加持ノ宿」

きっかけは、
オーストラリアでの
ワーキングホリデーだった。

19歳の頃からサーフィンが趣味。

母がフィリピン人であることも重なり
小さな頃から「海外に密接していた」という
川島建人さん(31)は、
「異文化を感じたい」と
サーフィンができる
オーストラリア西部のPerth(パース)という町へ
ワーキングホリデーで渡豪した。

21歳の時だった。

その後、
東部のByron Bay(バイロンベイ)へ拠点を移し
約1年間、オーストラリアでの生活を楽しんだ。

加持ノ宿の始まりは、ここにある。

川島さんが訪れた
オーストラリア・バイロンベイのビーチ
(撮影・提供:川島建人さん)

その時に利用した現地のゲストハウス。

向こうでは「hostel(ホステル)」や
「backpackers(バックパッカーズ)」
と呼ばれているが、
川島さんも滞在中に利用していた。

そこには、
世界中から川島さんと同じように集まった
多国籍の人種が入り乱れ、
若者から年寄りまでが空間をともにしていた。

「楽しかった」

たがいに旅の情報を交換したり、
そこで出会った人々に
「何か仕事知らない?」などと聞いては
オーストラリアでの生活を持続させていた。

「その人たちの情報がなかったら、
今頃のたれ死んでたかもしれないですね」
と笑って振り返る。

ワーキングホリデー時代には3カ月間ほどアジア諸国もまわった。
写真はカンボジアの風景
(撮影・提供:川島建人さん)

その経験から、
単純に宿泊施設を営むのではなく
空き家を改修して、デザインを盛り込んで、
地域を盛り上げられるような場所を
生み出したいという思いがあった。

2年間の予定だったワーキングホリデーは、
「親不知が痛い」というきっかけにより
1年間で終わることとなる。

「ワーキングホリデーの1年目が終わる時、
2年目の滞在のためのビザを取得するために
バナナファームでの仕事もしてたんですけど。

親不知が痛くて一度日本へ帰ってきた時に
父親に
「設計事務所で
アルバイトを募集しているけどやらないか」
と言われて。

長く勤めるつもりはなかったんですけど、
気づいたら4年いました」

その後、別の設計事務所で2年、
計6年の勤務期間を経て
川島さんは独立する。

-後編に続く-

「加持ノ宿」(黒潮町加持2672)
昨年9月にオープン。築130年の古民家をリノベーションし宿泊施設として営業中。マルシェやワークショップなどのイベントでも利用される。5月末には離れとして利用していた空間を「Cafe&Bar離れ」としてオープン(営業時間13時~19時、不定休)。宿泊予約の受付時間は12時から21時まで。不定休。

text Lisa Okamoto

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