うみべのあそび

サーフィンのある人生(後編)

日本に来て、30年。黒潮町での生活は20年が経った。

日本語に英語が混じりながら語ってくれる

「暮らしで困ったことは?」という質問に対し、「うーん…」と考え込むブルースさん。

「Not really.Kochi and Kuroshio people are very friendly.No problems with people.」(特にはないかな。高知県や黒潮町の人たちはとてもフレンドリーだから。ここに住む人たちとの間に心配事はないよ。)

「若い時よく色々困ったけど、今考えたらそこまでではないかもしれない。市役所とか行ったら大変で。健康保険とかの手続きとかね」
移住をしてきて、地域の人との関わりで困ったことはあまりなかったが、手続き関係で役所へ訪れた際には、専門的な言葉などわからないこともあり、大変だった。
今思い返せば、当時悩んでいたことは大したことではなかったと微笑む。
困ったことよりも、「住んでみてよかった」、そう思えることが多かった。

「Obviously number one is naminori.(一番は間違いなく、波乗りだね)。 海が近い。すぐそこ。私若い時は街に住んでいたけど、田舎が好き。『ゆっくり』が欲しい。Queit。静か。住みやすいじゃない?」
オーストラリアでの生活をしていたからこそ、私たち地元の人にはわからない感覚をブルースさんは教えてくれる。
海のそばでゆっくりした生活を送れるこの環境が、ブルースさんが暮らすうえではちょうどよかったのかもしれない。

毎日うみべを散歩しているブルースさん。
ここでの暮らしは、オーストラリアにある「リタイアメントビレッジ」のように、自然とともにのんびりとした生活を送れる場所に似ていると教えてくれる。
「As long as you can live here, then have a daily beach walk. 」
(ここに住み続ける限り、毎日のように浜を散歩するよ)

以前取材したのは2年前。あれから大きな変化はない。でも・・・
「2年前からあんまり変わってない。Actuallyちょっとコンパクトになった。too much. やり過ぎた。それも勉強になった」

サーフィンスクールに加え、ハラペーニョをここで栽培し、「ハタペーニョ」として販売をしている。
「自分で瓶やラベルを作って。勉強でしょ。最近保険のこともわかった」
収穫したハラペーニョは、90%が漬物になり、ブルースさんが作った瓶・ラベルで道の駅などに並ぶ。

「ハラペーニョ作るのは、It was busy. Because I had too many. I was a little bit 貪欲. (農場を広くしすぎて忙しかった。僕はちょっと貪欲だったんだね) I try again やりすぎて、今わかった」
経験したからこそ分かったこと。

これからについて聞くと、
「When I reteire, どこでする、どこに住む。somewhere here」
オーストラリアに戻るのでも他の場所に行くのでもなく、これからもこのうみべで過ごすのだろうと考える。

「I want,self-sufficiency(自給自足).できたらそれやりたいね。どこまでできるかな」
家を建てたり、自分で水や電気を作るようなことをしたい。
自分で全部はできないかもしれない。でも、できるだけ。
「やりすぎはダメでしょ」、そう過去の経験や教訓を活かして、これからはバランスを考えてやっていく。

「Ocean is something special for me」(海は僕にとって特別なもの)

ブルースさんにとっては山も好きと話すけれど、やっぱ一番は海や波。

「サーフィンはいつまでやるの?」という質問に「死ぬまで。できるまででしょ」と、即答するブルースさん。
「サーフィンする時間はあまりない。まあ作るは作るよ」
最近は忙しくてサーフィンをする時間が少ないが、それでも時間は作って、波に乗る。
これからもサーフィンとともにうみべのくらしが続いていく。

これまでも。これからもこの場所で

幡多サーフ道場
黒潮町浮鞭にあるサーフィンスクールを営むディロン・ブルースさん。
サーフィンスクール以外にもハタペーニョを栽培し道の駅などにて販売

text Aoi Hashimoto

-うみべのあそび