うみべのあそび

「ついでの場所で、ついでに驚きが生まれれば」漁師町の風土を感じる道の駅(前編)

道の駅なぶら土佐佐賀
看板の文字も「カツオ」があしらわれている

高知の西へ、西へ。

高知県幡多地域の玄関口として、観光客や地元の人にも愛されてきた。
今年10周年を迎えたのは、「道の駅なぶら土佐佐賀」(以下、「道の駅なぶら」)。

駅長を務めるのは、(株)なぶら土佐佐賀の代表取締役社長の明神慶さん(43)。黒潮町佐賀地域に生まれ、中学卒業までを地元・佐賀で過ごした。

父の明神正一さん(現・明神水産株式会社代表取締役)、以前うみべのくらしでも取材をさせていただいた弟の明神洋次さんもカツオ漁師の道を通り、漁師町の中で育ってきた慶さん。

でも、慶さんが最初に進んだ道はそれとは異なるものだった。

道の駅なぶら土佐佐賀の駅長・明神慶さん

「『漁師になりたい』という気持ちは全くなかったです」

漁師に囲まれ育ってきたはずの慶さんだったけれど、高知市内の高校を卒業後、選んだ道は「音楽」だった。

「(漁師になりたいという)その気持ちは無くて。何ができるかなぁって思うた時に、『あれ、ひょっとして音楽で稼いでいけんろうか』って。」

中学生の頃からドラムを少しずつ始めていた慶さん。高校進学後にはバンド活動も行い、卒業後は大阪の音楽関係の専門学校へ。2年間学んだ後、埼玉県へ引っ越し、アルバイト生活をしながらバンドの活動をしていたという。

でも、なかなか思うようにはいかない。「もう厳しいかもしれないな」、そう思っていた時にひろめ市場(高知市)内に店舗を構える「明神丸」を当時指揮していた慶さんの従兄弟から連絡が入った。

「2007年か2008年頃やったと思います。音楽で飯を食うにはなかなか難しいなぁと思っていて、ちょうどその時にたまたま従兄弟から電話がかかってきて。『明神丸の社員にならんか。もんてくるかこんか、今決めれ』と。それが4月くらいやったですね。ほんなら、自分も『帰る』って。電話もろうて、それから1カ月あったかなかったか。6月1日からは明神丸の一社員として高知に戻ってきました」

あっという間に地元・高知県へ戻ってくることになった慶さんは、27歳で人生初めて、正社員として働くことになった。

「バンドをしながらアルバイトをしていた時があったので、その頃に接客業も経験していた。接客業は嫌いじゃなかったんで、『まぁ、なんとかなるやろう』って思って。でも、やっぱり何の技術もない人間やったんで、最初の2~3年は一杯一杯になってましたね」

ひろめ市場内の明神丸や同系列の居酒屋などを周りながら働いていた慶さんだったけれど、今までとは違う経験に当初は四苦八苦した。キッチンでは魚を捌いたり、食材を細かく刻んだりと、接客業は経験があり、嫌いではなかったものの、飲食店でしっかりと包丁を使い仕事をすることはほとんど初めてだった。

「まぁ、乗り越えたのか乗り越えてないのかわからんですけど、乗り越えたのかな(笑)」

その後、2019年、慶さんは道の駅なぶらの駅長として、真の地元・佐賀へ戻ってくることとなる。

道の駅内には大きな黒潮町の観光案内板も

道の駅なぶら土佐佐賀
2024年に10周年を迎えた道の駅。黒潮町佐賀地域に位置し、幡多地域の玄関口として地元民や観光客をもてなす。明神水産グループの(株)なぶら土佐佐賀が経営していることもあり、明神水産の「藁焼きカツオのたたき」が名物。フードコートで食べられる他、お土産としても購入可能。その他、地元の作物やお土産品なども豊富に揃う。

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