うみべのそなえ

「34」の数字とともに日常へ寄り添い支えていく(後編)

-前編はこちらからー

2014年3月11日に設立し、いよいよスタートラインに立った缶詰製作所。それから人を雇用し、フードプロデューサーのスタッフにも1カ月間ほど住み込みで通ってもらい、同年夏に商品を発売することができた。その最初の商品は、9年が経つ今でも販売されているという。

創業して初めて製造した「トマトで煮込んだカツオとキノコ」は
現在も缶詰製作所の看板商品
「カツオと筍のアヒージョ」

「柚子香るブリトロ大根」

ただ、やはり最初は苦しい時期だったという。

「もう、全然でした。設立後には役場の別の職員も配属されて、一緒にやっていたんですけど、営業力もないし、ノウハウもないしという中で。本当に手探りでやっていました」

それでも、現在は4期連続黒字が続いている。そこに至るまでにはさまざまな道を乗り超えてきた。

「最初は、県内の市町村で備蓄品としての売り上げを立てようと、当時の町長と私で全市町村を行脚しました。幡多地域は近いので私一人で行きましたけど、大体どこの市町村も首長の方が話を聞いてくれて、その年の残予算で対応してくれたり、次年度に予算化してくれたり。それで確か33市町村中20市町村くらいが取引してくれました」

設立から2~3年目のことだった。その後、営業や展示会を重ねながら商品を販売し、2019年にはあと少しで1億円というところまで売り上げを伸ばした。その矢先、世間はコロナ禍となる。

「他の業種はだいぶ苦労されていた頃になりますが、不幸中の幸いじゃないけど、缶詰は業界全体が3割伸びたって言われているんです。『巣篭もり需要』で。私たちもありがたいことに1億2千万円くらいまで伸びました。違った意味で『缶詰は災害に強い』ということですかね」

それから4期連続で黒字が続いているという。今や県内だけではなく、黒潮町の缶詰は全国にも名を広げるアイテムとなっている。

缶詰を製造する工場内
この日製造されていたのは「カツオと筍のアヒージョ」

しかし、そう感じられるようになったのは、ここ数年だという。数字の部分でも、気持ちの面でも、多くの人に支えてもらうようになり、ここまで来れたという思いがある。

「立ち上げた時は、なんというか・・・『孤独な会社』というイメージがあって。半年で急に作って、関連した企業も地域にない。地域の人にも『なんで缶詰がこんなに高いの』なんて言われながら、『あいつら何やってるんだ』みたいに言われたことも。ただ、それでも続ける中で、取引先が増えてきて。商談って、『友だちづくり』だというふうに捉えているんだけど、会社として段々友だちが増えてきて。仲間がちょっとずつ増えて。製造委託を頼んでくれる企業も出てきたりとか。だから今は、孤独な会社じゃないなっていう感じはすごくしています」

右も左もわからない状況の中、それでも手探りで事業を進め、たくさんの人に「声をかけ」、「話をして」きたからこそ、現在の形がある。

それは、「高知県内の産品を」というこだわりからも生まれた結果であるという。

「できるだけ高知県内の食材を使うようにしてきました。缶やラベルなど食材以外のものも含めた仕入れ総額のうち、半分以上、県内の食材を使ってるんです。そのくらい地域貢献や経済循環も含めて、なるべく地元のものをと思っています。高知県内の産品を缶詰に『パック』する、私たちは『パッカー』として、県内産品を美味しく仕上げて、流通させる。そんな役割ができているのかなっていう感じはしますね」

こうした取組を継続してきたからこそ、「テレビで見たよ」「応援しているよ」などといったあたたかな声も増えてきた。

2011年3月11日。東日本大震災が発生し、その約1週間後、友永さんは現地を訪れている。

「当時、私は8年間防災の担当をしていて、県内の自治体の職員の中でも一番長かったんです。でも、認識が甘かった。自然というものを全然理解していなかった。本当に打ちのめされましたね。呼吸が苦しいという感覚を初めて味わった」

深い息をすることもできなくなるくらい、目の当たりにした状況は過酷なものだったのだろう。

その一方、滞在中の経験がその後の缶詰製造に活きたこともある。

最初の数日間はカップラーメンや袋に入った菓子パンなどを食糧としていたが、数日後に避難所での炊き出しが始まり、分けてもらったおにぎり。その場で調理されるものの美味しさをあらためて噛み締めると同時に、その横には炊き出しを食べることのできない人々がいた。

「炊き出しが始まって、食事の問題が改善されたなと思っていたら、その横で、アレルギーで食べられない人たちがいたっていうのをあとから気づくわけなんです。当時、そういう経験をした人たちの話を聞けて、災害時の状況がある程度わかるので、何が必要とされていたかとかがイメージできる。そういうのは経験として活かされていると思いますね」

7大アレルゲンを使用していない缶詰として、日常食としても、非常食としても食べられるという缶詰製作所の缶詰の特徴は、あの時の経験からきている。

「防災缶詰」として認識の高い商品だが、
日常の食卓におかずとして、おつまみとしても楽しめる

被災地での経験や、34mという津波の想定をアイコンにしたロゴマーク。「防災のまち」として売れっ子になったうみべの町での缶詰製造。でも、缶詰製作所が推したいのは、「防災意識を常に持って」ということではない。

「『防災、防災』で売りに行くとね、興味のない人は一才関心を持たない。だから、『美味しくて、高知県の産品を使った缶詰はいかがですか』みたいな感じで。それで『あれ、美味しいね』から始まって、34mのマークも気になって、『実はね』って、話し始められたら。そういうほうが長続きすると思うんですよね」

11月5日は「世界津波の日」。みんなに投げかけ、一年に一度、喚起するのも一つの方法。
日頃から、日常や地域に寄り添い、さりげなくいるのも一つの方法。

「黒潮缶詰」は、日常に寄り添い、非常時にもそばにいてくれる、そんな存在として「防災のまち」を支えている。

黒潮町缶詰製作所ロゴマーク

黒潮町缶詰製作所(黒潮町入野4370番地2)
町の産業振興を目的に2014年に設立された缶詰工場。災害時にも安心して食事ができるよう7大アレルゲンを使用せず、原材料には県内産品を多く使用するなどのこだわりが詰まった缶詰を製造。定番のグルメ缶やギフトセット、うなぎを使用した缶詰など多数の商品が揃っている。

text Lisa Okamoto

-うみべのそなえ