うみべのそなえ

「34」の数字とともに日常へ寄り添い支えていく(前編)

11月5日は「世界津波の日」。

過去の災害の教訓を伝え、防災意識の向上をめざす目的で平成27年に制定され、全国共通の「世界津波の日」があることで、災害について考え直すきっかけを人々に与えている。

うみべの町・黒潮町にある缶詰製作所は、一年に一度の「日」ではないが、主張はせずとも、過去の災害の記憶・記録を風化させず、防災に対する意識を思い出させてくれる存在。

「どうしても人間なので、風化していくことはある。啓発活動や災害対策など、活動を続けていくのは本当に難しいことで。そうした時に、『このマークってどういう意味ですか』というように聞いてくれる人がいて、そこでリマインドができれば。『34』のマークを入れているのにはそういう意図もある」

そう話すのは、黒潮町缶詰製作所(以下、缶詰製作所)の取締役・友永公生さん。

缶詰製作所の取締役・友永公生さん

缶詰製作所が製造する缶詰には、「34m」と書かれた旗マークのロゴがプリントされている。2012年、内閣府が公表した南海トラフ巨大地震被害想定で黒潮町が受けた数字は34mという津波高だった。このあまりにもショッキングな数字を缶詰製作所ではロゴに使用している。

「34m」と書かれた青色の旗は黒潮町缶詰製作所のロゴマーク

缶詰製作所が設立されたのは2014年3月11日。

2011年に東日本大震災が発生し、東北と同様、沿岸部に位置する黒潮町でも防災対策のテコ入れが始まっていた。町の防災対策を担当する部署だけでは到底対策はしきれないであろうということから、庁内では横断組織が作られ、各部署の職員たちがともに対策を練っていた。そんな時、2012年、「34m」という新想定が発表される。

「新しい想定が出て、これまでやってきたことがリセットされたものも。でも、やってきたことは無駄ではなくて。その後に、『地域担当制』という職員を各地区に配置して、住民の皆さんと職員とで地区の防災を一緒に考えていくという取組も始めました」

当時は町役場の中で職員として働いていた友永さん。東日本大震災後から続けてきた防災対策により一層力が入り、さまざまな取組が広がったことで、黒潮町が「防災のまち」として世間に認識され始めた頃である。

そうなると、以前より進められてきた「防災・福祉・産業・教育」の4本柱の事業の中で、防災が抜きん出ていった。さらには、防災対策を進める上では欠かせない要援護者の課題などから福祉も、また、子どもたちの教育も必要不可欠となることから、4本柱のうち3本は同時進行で事業が進んでいったが、取り残されたのが「産業」の分野であった。

そして、「防災のまちで産業を興そう」と計画が始まったのが「缶詰製作所」だった。

計画のスタートには、プロジェクトチームが組織されたという。町長、産業推進室長、友永さんを含む係員2名、そして、当時高知工科大に勤務していた特任教授や教員。さらには県外からフードプロデューサーなどが加わり、月に2度、土曜日に会議を行い検討が始まった。

「千本ノックみたいな感じで、土曜日に宿題が出されて、月曜日にその課題の解答を返すみたいな。そんなことをずっとやっていました。2013年の4月にプロジェクトが始まって、その年の9月に町の補正予算で会社の建設費用を計上して、で、3月。半年で設立したんです」

缶詰製作所と同様に第三セクターで設立した近隣の会社にも話を聞きに行ったが、設立までに2年半の月日が必要だったという。「半年は無理だろう」、無謀だと感じていたけれど、「やるしかなかった」。

「今思えば冗談のようだけど、なんで半年で設立ができたかっていうと、それだけ追い込まれてたんですよね、町自体が。津波高の想定が発表されてからは、町を出ていく人もやっぱりいたし、県外からの修学旅行生が来なくなったり。低地には新築の住宅も建たない、企業誘致もできない。そうなったら、町が会社を作るべきだろうって」

「防災のまち」として定着していた黒潮町ではあるが、新想定など将来の災害のことを考え、町に人がいなくなってしまうかもしれないという不安も現実にあった。少しでも町の産業を振興させなければという強い思いは、当時の状況を知らない者にとっても、半年という通常ではあり得ないスピードでの準備期間から伝わってくるものがある。

黒潮町缶詰製作所(黒潮町入野4370番地2)
町の産業振興を目的に2014年に設立された缶詰工場。災害時にも安心して食事ができるよう7大アレルゲンを使用せず、原材料には県内産品を多く使用するなどのこだわりが詰まった缶詰を製造。定番のグルメ缶やギフトセット、うなぎを使用した缶詰など多数の商品が揃っている。

text Lisa Okamoto

-うみべのそなえ