大迫さんが10年携わってきた「大方ホエールウォッチング」は今、変遷の時を迎えている。そのきっかけとなったのが、「クジラのうんこプロジェクト」。
全ては偶然に始まった。
大迫さんが携わり始めて10年、大方ホエールウォッチングのほとんどが「大迫さんがいないければ回らないのでは」というほど、彼女のポジションは重要になっていた。それと同時に、新しいことに挑戦するほどの余裕も無く日々が過ぎていた。そこに、新たな体制で彼女の仲間として彼女を支える砂浜美術館の職員たちがいる。
「2023年、もうめちゃくちゃ忙しくて、ほとんど強制的に船のガイドに入ってもらわないと回らなくなったんですよね」
「そう。その2年前、2021年度。同じ観光部としてウォッチングの仕事にも携わり始めた頃は、まだウォッチングの面白さの本質はわかっていなかったけど、2023年度は忙しすぎて、もう手伝わざるをえなかった」
大迫さんの話に対し反応するのは、同館・観光部の塩崎草太さん(39)。普段は「Tシャツアート展」や「イスに座って海を見る日」などの事業を担当している彼だが、ホエールウォッチングの仕事にも本格的に関わるようになった。Tシャツアート展などの「イベント」、ホエールウォッチングという「体験」、それぞれ手法は違うけれど、どちらも同じ「観光」として取り組む体制が整っていった。
観光部に配属されて一年目の2021年度には、まだホエールウォッチングの魅力や本質を理解できていなかったと振り返る塩崎さんだが、その2年後、ウォッチングの楽しさや大迫さんに対する信頼が増し、彼女を支える仲間となった。また、有光優衣さん(30)と中谷みどりさん(43)も砂浜美術館に加わり、観光部の新体制ができた。
「今の体制になるまでは、クジラのこと、ホエールウォッチングのことに特化している人が他にいなかった。でも、塩ちゃん(塩崎さん)やありみつ、みどりさんが一緒にやってくれるようになってからは、新たな考え方や発見があったり、同じ目線でウォッチングのことを考えられる仲間が増えました。それで余裕もできて、外との繋がりを作れるようになったりもして。外部との交流が増えて、『クジラのうんこプロジェクト』もそこから偶然、始まったんです」(大迫)
体制が変わったことで、ホエールウォッチングを引っ張っていく存在の大迫さんにも余裕ができ、その時に出会った人たちと始めたのが日本初の「クジラのうんこプロジェクト」である。
このプロジェクトの発端は、ホエールウォッチングの運営体制が変わり、携わる職員が増えた時、大迫さんが参加した高知市内での食事会での出会いだった。
「須崎市でクジラが打ち上がったことがあって、その時に国立科学博物館の人たちが調査をするために高知に来たタイミングで、調査後に高知市内で食事会があったんです。そこに誘われて参加した時に、初めて国立科学博物館の人たちと知り合って、その後、黒潮町にホエールウォッチングの勉強会で来てもらえることになったんです」
勉強会のテーマは、「ニタリかカツオか」というもの。これまで、黒潮町の沖で出会えるクジラは「ニタリクジラ」であると言われ、砂浜美術館の館長も「ニタリクジラ」と言ってきたけれど、そのクジラが、実は「カツオクジラ」と言われるものであるかもしれないという話題が数年前から上がっていたことから、勉強会のテーマとなった。
ただ、勉強会に来てくれた国立科学博物館の先生たちにも、断定ができるような研究サンプルの数が少なかったため、その疑問の行方はわからないままだった。そんな時に浮上したのが、「うんこ」だった。
ニタリクジラなのか、カツオクジラなのか、それを調査するためには、クジラのDNAを採取する必要がある。そのDNAはクジラの表皮か、そしてもしかしたら、クジラの排泄物からわかるかもしれないという話だそうで、大迫さんを筆頭に、砂浜美術館は表皮よりも見つける回数の多い「うんこ」をターゲットに選んだ。
勉強会終了後の同年8月、たまたまホエールウォッチングへ2隻で出航中の船の上でクジラが排泄をしたシーンに出くわした大迫さん。
「『おぉ、うんこしたー!』ってなって。でも何にも準備がない。『どうする?とる?どうする?』ってなったけど、とりあえずとってみようってなって、ベストポジションにいたもう一隻にお願いをして、船にあったバケツですくい、船長が持っていたペットボトルを洗い、その中にうんこを入れて持って帰りました。博物館の先生に『うんこがとれたんですけど、いりますか?』って写真付きでメッセージを送ったら、『おぅ!冷凍で送ってくれたら研究資料になる!』って。それでうんこを送りました」
そうして、サンプルを集め調査数を蓄積していくことで、砂浜美術館館長の本当の名前がはっきりわかるかもしれない。ここから本格的にうんこプロジェクトが始動していった。
「クジラのうんこプロジェクト」は現在、始まって2年目。
民間の非営利団体が行う環境保全活動に対して助成される「地球環境基金」を活用し、年間18回、調査船を出航し調査をしている。それに加え、通常のお客さんが乗船するウォッチング船の定期便でも、クジラが排泄をした際には船を止め、排泄物の採取を行なっている。
この「定期便でも採取することに意味がある」と大迫さんは話す。
「間近でガイドさんたちが本気でうんこを待ち望み、本気でとる。その調査の現場を見られる。しかも、もしかしたら、その子(クジラ)のうんこが、世紀の大発見につながるかもしれない。その現場に居合わせたという価値が生まれるかもしれないんです」(大迫)
ただ、それまで「観光事業」として行なってきたウォッチングに、調査や研究といった要素を加えることには、内部でも議論があったという。
「調査は観光ではないやろう」
さまざまな意見があがりながら、今まで数十年続けてきた「観光」としてのウォッチングに「調査」や「研究」といった要素を加えたのには、理由がある。
「『図鑑に載っているクジラを実際に見た』っていう経験は、黒潮町だけじゃない他の場所でもできる。でも、それだけじゃなくて、このプロジェクトを始めたからこそ、野性のクジラの本質を知ることができるし、そこには新たな価値が生まれる。学術的な方向性を取り込むことで、『唯一無二のホエールウォッチング』をここ、砂浜美術館で進めていきたい」(大迫)
「あとは、個人的に言えば、さこちゃん(大迫さん)を信じたっていうのもある。それに、野生生物の本質を知ることを大切にしているさこちゃんだから、その方が彼女の能力、本領を発揮できるやろうなって。俺はそれを特殊能力だと思ってるんやけど(笑)」(塩崎)
今年6月には「日本セトロジー研究会第34回大会(以下、セト研)」が黒潮町で開催される予定になっている。鯨類やその他の海棲哺乳類について、研究・普及・情報収集をする研究会で、砂浜美術館同様、30年以上続いてきたこの大会がこの町で開催となる。
「うんこ、うんこ」と大真面目に、目を輝かせながら語る大人たちがいる町になったからこそのことだろう。
「昨年から始まったうんこプロジェクトがあって、今年がセト研。今、そうして段階を踏んでいるところ。セト研は、鯨を中心とした研究者がいっぱい集まる会やから、その人たちに『クジラに逢える町』っていうのを知ってもらえる機会でもあるし、拡散してもらえる機会でもある。とても重要な会になると思うんです」(大迫)
砂浜美術館で大切にしてきたこと。「人と自然のつきあい方を考える」ということ。
ホエールウォッチングが始まるまだ前の時代、クジラはこの町の漁師たちにとっての邪魔者だった。でも、数十年経った今、「クジラに逢える町」と謳ったり、館長を「クジラ」にしてみたりと、うみべの町にともに住む自然界の生き物を財産にし、町の価値を生み出している。そうして少しずつ変遷してきたこの町にとって、砂浜美術館にとって、この大会が開催される意味は大きい。
「『海の惠みあふれる町を作っていきたい』っていう思いがあるけど、それは俺らの時代とかじゃなくて、もっと先でも、子どもたちの時代でも、そうありたい、そうであってほしいよね」(塩崎)
「うん。そこをやっていきたい。というか、今やらな、終わってしまうよね」(大迫)
「うんこプロジェクトの行き着く先は?」という問い。それに対するこの回答。北海道で見た、彼女の子どもの頃の夢を変えてしまった、野生のクジラやイルカたちとの出会いが、クジラに会えるこの町で、仲間たちとともに今も膨らんでいる。
大方ホエールウォッチング
NPO砂浜美術館により観光部の事業として行われている。以前は黒潮町の漁師たちが「新しい漁業」として開始し、2003年、NP O砂浜美術館の法人化とともに同館の事業として運営開始。2024年は5月2日から10月31日まで出航を予定。予約など、詳細は大方ホエールウォッチングのHPをチェック。6月22日・23日に開催される「日本セトロジー研究会 第34回(黒潮町)大会」については、こちらをチェック。
Text Lisa Okamoto