うみべのあそび

好きだから、海へ(前編)

「海が好き、船が好き、釣りが好きやけん。

とりあえず、
海の上に浮かんじょったらえいろうかぁって」

船頭・浅野伸也さん。
「第八友栄丸」の前で。

優しい笑顔で静かに
自分の仕事についてそう話すのは
カツオ一本釣り船「第八友栄丸」の
船頭・浅野伸也さん(42)。

カツオ船の船頭を務めている
現在のイメージとは違い
喘息持ちで身体の弱かった幼い頃の浅野さん。

「体力つけないかんいうて、母親が無理やり」

小学1年生から”始めさせられた”サッカーで
浅野さんはどんどん才能を開花させる。

高校進学時には
県外の強豪校へ行くことも考えていたけれど、
サッカー協会の関係者に
高知に残ってほしいと懇願され
高知市内の高校へ進学。

「僕より年上の上手な人らが
みんな県外に出て行って
高知県のサッカーレベルが上がらんけん、
どうしても県内に残ってほしいって」

当時の浅野さんを知る同世代の人に言わせれば、
浅野さんは
「キャプテン翼のようなサッカー少年だった。
いや、これ冗談やなくて、本当に」。

サッカー少年だった頃の浅野さん。
(小学4年生当時。浅野さん提供)

小学生からサッカーの道に
歩を進め始めた一方で、
同じ頃から好きだったのが、釣り。

「釣りも小1くらいから。
小さい船をお父さんが持っちょったけん、
ここからすぐのところでアジ釣ったり。
そこの堤防、今はフェンスがあるけど、
昔はなかったがやけん。
そこからはイカがね、たくさん釣れよった」

釣り好きの父に連れられ、
小さな頃から上川口港やその周辺で
頻繁に釣りをしていた。

浅野さんが少年時代から釣りをしていた上川口港。
現在は堤防にフェンス(写真左奥)。

それに加え、
「まさまるおんちゃんにも
ちょこちょこ釣れて行ってもらってた」。

「まさまるおんちゃん」は、
キルトの浜﨑あけみさん(※)の
旦那さん・守利さん。
「昌丸釣具店」を営みながら
ホエールウォッチング船を生業にしていて
浅野さんのお父さんとは
飲み友だちだったという。

あけみさんが
「365日のうち350日は
旦那の友だちが飲みに来てね」と話していた
あの時の”友だち”に
浅野さんのお父さんも入っているみたい。

「2人は仲良くって。飲み友だち。
2人ともしょっちゅう酔ってた(笑)」

小さな頃から海、釣りが好きだった浅野さん。
まさまるおんちゃんに連れて行ってもらった海でクジラを発見。
(浅野さん提供)

高校までをサッカーに注力し
部活動で忙しかった浅野さん。
時間もなければ海との距離も遠く、
しばらく大好きな釣りからは離れていた。

高校卒業後、高知市内で半年ほど
アルバイトをして生活していた頃、
父親の怪我をきっかけに
地元へ戻ってくることに。

トラックの運転手だった父を手伝い、
その後、町内の福祉施設も経験。

「仕事が休みの時はいつも釣りに行きよった」

大好きな釣りが、海が、
また身近に戻って来た。

「ちょうど二十歳の誕生日の時にね、
あけみさんのおんちゃんと釣りに行っちょって。
30kgくらいのマグロを釣ってね。
それで漁師になりたいなと。やってみたいなと」

笑顔でゆったりと話をしてくれる浅野さんが
「めっちゃ興奮しちょった」と
振り返るそのシーン。

「僕が引っ張ってて一回逃げられそうになって、
めっちゃおんちゃんに怒られて。
「交替せれぇ」って(笑)」

さらには
「ここから結構近場で
釣れた時があってね、カツオが。
おんちゃんの船で行ってて、
一本釣りみたいながさせてくれて」

そんな体験が重なり
21歳の時、
好きだった「釣り」を仕事に、
「カツオ漁師」になることを決意する。

―後編に続く―

『苦しくって、楽しい工程』の記事で紹介しているキルト制作者・浜﨑あけみさん。

浅野伸也さん(42)
浮鞭地区出身。(株)友栄 (黒潮町浮鞭2103番地1)代表。カツオ一本釣り船「第八友栄丸」の船頭を務め、上川口港を拠点に、3月~11月頃までカツオの一本釣り漁を行う。幼少期から釣りが好き。小中高とサッカーに注力した後、21歳で漁師になることを決意。「福吉丸」で15年ほどカツオ漁師としての経験を積み、4年前に独立。福吉丸の船を譲り受け、日本人とインドネシア人の船員9名とともに「友栄丸」として漁に出る。

Text Lisa Okamoto

-うみべのあそび